私達を迎えてくれたマノ一家はジャックリィという椰子の砂糖やタナカの仲買業をしていた。
収穫期には男達がきて、庭に敷かれたゴザに大きさ、色、形ごとにジャックリィを分ける。
砂糖の固まりと言ってしまえばそれまでだが黒々としたジャックリィの重たそうなこと。
黒光りする塊を眺めていると子供の頃学校のストーブにくべた石炭を思い出す。
強い陽射しのもと男達は大きな掛け声とともに黒い山を積みあげていく。
褐色の体、隆起する筋肉、ここには男の世界が存在した。

家の軒先は小さな雑貨屋になっていて口紅、洗剤、石鹸など売っていた。
その雑貨屋は長女のマノが切り盛りしていた。
客は皆顔なじみで、買物ついでにお茶を飲んで帰っていくものもいて、この家に出入り
する人の、どれが家族で、どれが客人か私にはよくわからなかった。
それでも数日滞在すると、最初はわからなかった家族の全容があきらかになっていった。
マノ父、マノ母、マノ、マンダレーの大学を卒業したマノの夫。
末娘の7歳のイームー。
マノ母の母、マノ父の母、使用人達数名。
総勢10数名が一つ屋根の下に暮らしていること、マノ兄はシットウェで暮らし、マノ弟は東の方の大学に通い、双子の妹達はパコックの大学生だった。

私の世話役をかってでてくれたのが長女マノ。
お目付け役には末娘イームー。
マノは勘の良い女性で、こちらの言わんとすることを察してくれ、使用人に指図したり、イームーを呼びつけたりしながら、私の滞在が不自由ないように気を配ってくれた。
「マノ」と彼女を呼べば大抵の問題は解決するので、私は1日に何回も彼女の名前を口にした。
よってその後何年も何年も「ザジゴンが最初に口にしたミャンマー語はマノで、その次はイームーだったのよねえ」と一家に言われ続けた。

この時期、寒暖の差がとても激しく、日のあるうちにシャワー(水)を浴びないと、頭から風邪をひいてしまいそうなほどだった。
村人達は真っ昼間井戸端に集い、ロンジーを体に巻いたまま水を浴びる。
青空の下、老若男女皆一緒。
 

「おい、どうするよ?!」

のっぽと私の目線が交差する。
ガイドが私たちの困惑ぶりを察してマノ父母に相談すると、一家の庭先、柵の内側をシャワールームとして使用するよう言われた。
私は水の入ったバケツ片手にイームー率いるちびっこ隊に導かれて、そこでいつものように服を脱ごうとして凍った。
たくさんのハナタレ小僧達が柵にしがみついて、こちらをのぞいていた。
木でできた柵は目隠しの役割をなさなかった。

「ぎゃあ」
と私。
「こらあ!!」
とちびっこ隊。

それに反応するイタズラな笑い声。
マノが笑い声とともにかけつけると四方をロンジーで目隠ししてくれ一安心。
イームー達に「もう大丈夫」と合図をしたら、シャンプー片手になにやら得意気な表情。

 
はてさて私のまったく予想しなかったアクションが起こった。
「ハイ、頭を洗いますよ」、かがんだ私の頭を泡だらけにして大喜びする子。
「ハイ、背中を流しますよ」、私の腕やら背中を泡だらけにする子。
観念した。私は彼女達のちょうどいい人形だった。
それが滞在中毎日続いた。

女は女らしく。
長い黒髪に季節の花。
この国では長くて黒いツヤツヤのまっすぐな髪の毛が美の象徴。
香草の入った天然のシャンプーで洗い、椰子の油でなでつける。
ふんわりとやさしい色合いのブラウスとロンジー。
町で買ってきた布を無駄のないように裁つ。
ミシンを持っているご近所へ出向いては、おしゃべりしながら仕立てる。
母と娘のブラウスが同じ柄、父と息子のシャツも同じ柄。

私は東京からサンダル履き。クタクタのズルズル。
髪の毛はくせ毛でクシャクシャ。
長く伸ばすにも、髪の毛がそれ自体の重さに耐えられずに切れてしまうだろう。

イームーは少しでも私に女らしくしてほしいのだろうか。
櫛とジャスミンの花を持って部屋へやってくる。
鼻歌を歌いながら私の髪をとかしジャスミンを飾る。

「ロンジーは?タナカは?ザジゴンはまったくへんな子!!」

(Travel Note vol 2 Culture Difference、おしまい)

written by ザジゴン
 

 
ミャンマー徒然に
アジアの黄昏
 
TOP
 
HOME